柏市は千葉県北西部に位置し、人口約43万人を擁する中核都市です。先史時代から現代に至るまで、豊かな歴史を持つ地域として発展してきました。

1. 先史・古代の柏市地域

1.1 旧石器時代から縄文・弥生時代

柏市域に人が暮らし始めたのは約4万~3万年前の旧石器時代とされています。常磐自動車道柏地区に旧石器時代の遺跡が見つかっており、市内には約500か所近くの遺跡があります。縄文時代から弥生時代にかけて、この地域には人々の生活の痕跡が残されています。

1.2 古代の製鉄産業

柏市は古代の製鉄産業が盛んだった地域でした。市内の製鉄遺跡は県の製鉄遺跡分布地図によると63か所あり、利根川流域と手賀沼南岸地域に分布しています。特に旧沼南地域は53か所と県内トップの千葉市の59か所に次ぐ密集地帯となっています。

調査が進み年代や構造が明確な製鉄遺跡としては、花前2遺跡(船戸)、宮後原製鉄遺跡(大島田)、若林1遺跡(藤ヶ谷)、松原製鉄遺跡(若白毛)、天神向原遺跡(大井)、大井東山遺跡(大井)、桝方遺跡(岩井)の7か所があります。これらの遺跡の時期は、花前2遺跡が平安時代、他は奈良時代と考えられています。

製鉄遺跡は製錬と鍛冶に分けられ、製錬炉はその形態から長方形箱型炉と円筒状の半地下式の竪型炉に分類されます。若林1遺跡と松原製鉄遺跡は箱型タイプで、宮後原遺跡と花前2遺跡は竪型タイプです。

製鉄には多量の木炭と高温度を保つための鞴(ふいご)と呼ばれる送風装置が必要でした。古代の柏地域では、国家の命を受けた製鉄集団が活動していたと考えられています。鉄器の普及により、耕地面積は飛躍的に拡大し、武器の殺傷能力も高まりました。

2. 中世の柏市地域

2.1 平将門と相馬氏

10世紀半ば、関東地方を震撼させた平将門に関する伝説は、千葉県北部から茨城県にかけて数多く残っています。柏市岩井には将門を祀る神社があり、将門を裏切った愛妾桔梗御前を疎んで桔梗を植えず、また将門の調伏を祈った成田山には詣でないという風習がありました。

将門は「下総国の亭南」に「王城」を建設したとされ、この地が現在の柏市大井と考えられています。中世の柏市を含む旧相馬郡を支配した相馬氏は、将門の子孫であるという伝承が広く知られています。

相馬氏の本家は千葉氏であり、14世紀初頭には千葉氏の先祖である平良文が将門の養子になったという記述が『源平闘諍録』に見られます。その後、千葉氏の一族として相馬御厨を支配した相馬氏が誕生し、将門の子孫としての相馬氏という位置づけが完成しました。

一方で、将門の直系の子孫が相馬氏であるという伝承も存在しました。将門が戦死すると、その子孫は信太郡に逃れて「信太」氏を名乗り、後に相馬郡に戻って相馬氏を名乗ったとされています。

中世、下総国相馬郡を支配した相馬氏は、鎌倉時代末期に一部が陸奥国行方郡(福島県南相馬市)に移住した結果、下総相馬氏と奥州相馬氏に分かれました。奥州相馬氏は江戸時代を通じて相馬中村藩主として存続しましたが、下総相馬氏は豊臣秀吉による小田原攻撃によって打撃を受け、残った一族は徳川幕府に仕えて旗本となったり、小田原藩に仕えたり、帰農したりしました。

3. 近世の柏市地域

3.1 江戸時代の柏

江戸時代、現在の柏市域は水戸街道の宿場町である小金宿と我孫子宿の中間に位置する小さな集落でした。当時の利根川は東京湾に流れ、現在の利根川筋は手賀沼や印旛沼、霞ヶ浦や北浦と一体となって大きな内海(香取内海)を形成していました。

この地域には「小金牧」と呼ばれる幕府直轄の牧場が広がっていました。明治期の幕開けとともに「小金牧」跡地の開墾が始まり、明治中期には「利根川」と「江戸川」を結ぶ「利根運河」の開削も行われました。

4. 明治・大正時代の柏市

4.1 鉄道の開通と近代化

明治29年(1896年)、日本鉄道土浦線(現:JR常磐線)が開通し、柏駅が開設されました。これが柏の発展の大きな契機となりました。

明治22年(1889年)には、柏村が戸張村・篠籠田村等と合併して千代田村となりました。また、千代田村・豊四季村組合が組織されました。

5. 昭和初期の柏市

5.1 市制施行前の柏

昭和初期の柏は、東京近郊の農村地域として発展していました。昭和29年(1954年)の市制施行前には、周辺の村々との合併が進められていました。

6. 戦後の柏市の発展

6.1 市制施行と初期の発展

昭和29年(1954年)9月1日、東葛市が誕生しました。同年10月20日には鈴木悦三氏が初代市長に就任し、11月1日には富勢村を廃止して東葛市と我孫子町に分村合併しました。そして11月15日に東葛市を柏市に改称し、11月21日に市章を決定しました。

昭和30年(1955年)には、田中北小学校が開校し、市営上水道事業を開始しました。同年12月25日には柏駅前で大火が発生しています。

昭和31年(1956年)には、国道6号(呼塚-小金間)で一般通行が始まり、柏第五小学校と柏第四小学校が開校しました。また、日本住宅公団荒工山団地の入居が完了し、柏駅西口が開設されました。

昭和32年(1957年)には、日本住宅公団光ケ丘団地(974戸)の入居が開始され、光ケ丘小学校が開校しました。柏郵便局が特定局から普通局へ昇格し、国道6号(小金-青山間)が全線開通しました。

6.2 高度経済成長期の柏

昭和39年(1964年)11月4日、市の人口が10万人を突破しました。昭和40年(1965年)2月6日には市役所庁舎が完成しました。

昭和48年(1973年)には、そごうと髙島屋がオープンし、商業都市としての柏の発展が加速しました。

昭和53年(1978年)8月12日には、柏商業まつりを「サマーフェスティバル・柏まつり」として開催し、現在も続く柏の夏の風物詩となっています。

昭和60年(1985年)には、常磐道柏ICの供用が開始され、交通アクセスが大幅に改善されました。

6.3 平成以降の柏市

平成元年(1989年)には、人口が30万人を突破しました。

平成7年(1995年)には、柏レイソルがJリーグにデビューし、地域のスポーツ文化の発展に貢献しました。

平成17年(2005年)には、沼南町と合併し、同時につくばエクスプレス(TX)が開業しました。これにより、柏の葉キャンパス駅を中心とした新たな都市開発が進みました。

平成23年(2011年)には、柏レイソルがJ1で初優勝を果たし、市民に大きな喜びをもたらしました。

平成28年(2016年)には、パレット柏がオープンする一方で、長年親しまれてきたそごうが閉店しました。

7. 現代の柏市

7.1 都市としての発展

現在、柏市は人口約43万人を擁する千葉県北西部の中核都市として発展を続けています。東京のベッドタウンとしての側面を持ちながらも、独自の商業・文化・スポーツの発展を遂げています。

柏駅周辺は千葉県内有数の商業地域となり、柏の葉地区では最先端の都市開発が進められています。また、手賀沼や利根川などの自然環境も市民の憩いの場となっています。

7.2 文化とスポーツ

柏市は文化的にも豊かな都市です。開山1200年を超える布施弁天や江戸時代後期に建てられた吉田家住宅歴史公園などの歴史的な文化財が残されています。また、季節ごとの花々が見事な姿を見せるあけぼの山農業公園など、自然と調和した施設も市民に親しまれています。

スポーツ面では、Jリーグの柏レイソルのホームタウンとして知られ、サッカー文化が根付いています。

7.3 未来に向けた取り組み

柏市は「つづくを、つなぐ。」をスローガンに、持続可能な都市づくりを進めています。柏の葉地区では、環境・健康・創造・交流の4つの価値を創造する国際学術都市づくりが進められており、未来志向の都市として注目を集めています。

参考文献

  1. 柏市公式ウェブサイト「柏市の歴史」 https://www.city.kashiwa.lg.jp/kohokocho/shiseijoho/about_kashiwa/profile/rekishi.html
  2. 柏市公式ウェブサイト「柏の歴史」 https://www.city.kashiwa.lg.jp/about_kashiwa/culture/rekishi/rekishi/index.html
  3. 柏市公式ウェブサイト「古代の製鉄工場」 https://www.city.kashiwa.lg.jp/bunka/about_kashiwa/culture/rekishi/rekishi/setetsu.html
  4. 柏市公式ウェブサイト「将門伝説と相馬氏」 https://www.city.kashiwa.lg.jp/bunka/about_kashiwa/culture/rekishi/rekishi/masakado.html
  5. 柏市教育委員会『歴史ガイドかしわ』2007年